「風、炎、舌」  05.05.15
            使徒言行録2:1〜13

 信仰者は誰もが、聖霊で満たされている存在です。
 聖霊によらなければ、だれもイエスは主であるとの信仰を
持てません(コリント一12:3)。
 ですから、私たちは、自分が聖霊に満たされていないなどと
思い込むべきではありません。
 それは、聖霊を悲しませることです。満たされていないのでなく、
鈍いだけです。
 聖霊降臨日の場面で、聖書は私たちが受けている聖霊を
風、炎、舌という三つの言葉で示しています。

 「風」という言葉には、「息」という意味が含まれています。
 主なる神が命の息を吹き入れ、人は生きる者になった場面
(創世記2章)や、枯れた骨に霊が吹きつけ骨が生きはじめた
場面(エゼキエル37章)を思い起こします。私たちが受けている聖霊は、
私たちに信仰者としての新しい命を与えてくれました。また、枯れた
骨のような者に生きる力を注いでくれます。

 「炎」は、不純物を取り除いて清めるための火です。
 預言者イザヤが、自分の罪に恐れおののいた時に、み使いのような
ものは炭火をイザヤに当てて言いました。「これがあなたの唇に触れた
ので、罪は赦された。」(イザヤ6章)。炎で表される聖霊は、イエスさまに
よる罪の赦しを私たちにもたらしてくれました。

 聖霊は、私たちに語りかける「舌」として迫ります。
 聖霊の語りかけによって、御言葉が真に御言葉となって、心の内に
響きます。弟子たちの話を聞いて、神さまのみ業を聞きとることができた
人と、たわごとのようにしか聞けない人の違いは、舌として働きかける
聖霊の有無から来ます。神さまが独り子なるイエスさまを私の救いの
ために送ってくださったこと。神さまに愛されていること。イエスさまに
よって罪が赦されたこと。永遠の命の希望が与えられたこと。聖霊の
語りかけによって、私たちはこのような神さまの御業を聞かせて
いただきました。
 更に、聖霊は救いを語る舌を与えてくださいます。
 しかも愛をもって人に語る者へと整え、成長させてくださいます。
 「霊の結ぶ実は愛」(ガラテヤ5:22)であるからです。